farmar's talk NEO

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ざわざわする

何か悪いことが起きそうな感じになると、亡くなったおばんちゃは「なんでが、ざわざわする」とよく言ってた。おばんちゃが亡くなってから三年半が経つ。生きていたなら、きっとこの空気を「ざわざわ」と表現したんじゃないのかな、とふと思う。

先日、とてもざわつく日があった。うちの次女と三女の同級生のお父さんが突然亡くなったのだ。その訃報は LINE で次女の友達から送られてきた。あまりに急でうちの家族は皆、言葉を失った。次の日、学校行事で他の保護者と会ったら、皆、その突然のことに戸惑っていたのは同じだった。どうも、聞くところによると体調が悪かったのに仕事で無理がかかったようだ。時々、車ですれ違って元気な姿を見かけていただけに、とても信じられなかった。

二日後にあったその葬儀は、会場がとても哀しい空気に包まれてた。葬儀といえば、年末に妻の祖母が亡くなったのだった。九十四才という長生きだったこともあって、悲しいけれどがんばって長く生きられてよかったね、お疲れさま、という雰囲気も無きにしも非ず、といったような葬儀だった。ところが今回の葬儀はまだまだ働き盛りの、ましてや小さい子どももいるお父さんだったから、本当は絶対にあってはいけないことだった。あまりに哀しすぎた。

亡くなった妻の祖母は祖父の仕事の関係で満州に渡っていた。終戦間際、まだ幼かった妻の父と乳飲み子だったその妹とを女一人で引き揚げ船に乗り、大陸からやっとの事で故郷である横須賀に戻ってきたのだった。葬儀で年長の義理の兄が挨拶をした。「このおばあちゃんは、過酷な状況の中で幼子を無事に連れ帰って、妻の父を含めた四人の子どもを立派に育て上げた。その子どもが子どもを産んでこうして葬儀に曽孫も来てくれている。大変だったけど、幸せだったじゃないか。心からお疲れさまと言いたい。」

何があっても、どうやってでも生きなくては。ざわめきの中で心から思う。

ようやく雪も落ちついて、気温も上がってきた。決算・申告の準備も九割方終わった。そろそろ、春の農作業に向けての資材を注文したり、除雪作業で傷めたビニールハウスを補修しなくては。今年は子どもの進学も控えているので(順調にいけば・・苦笑)、いろいろとばたばたするのは目に見えている。

いつもの、ごく普通。でも確実に生きているのだ。