farmar's talk NEO

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キュウリ出荷組合研修旅行(その一)

突然ですが、家族農業にとって最も大事なこととは何か。それは、その構成員である「家族」がいかに家の仕事を一致団結してがんばるか。いや、言い換えれば、がんばれるか。親と子、・・兄弟等ならば、それはそれでいろんな問題もあるのだけれど、基本的にもっとも単純な家族構成なので、それぞれの気持ちが「つーかー」な部分もある。まあ、問題はない。問題は・・夫婦間なのだ。

嫁はよく夢男に言う。
「夢男とは、血がつながってないからね〜(笑)」

そう。まさに嫁の言っていることは真理(笑)。 親とは血が繋がっているし、兄弟、子供とも同様・・。唯一、繋がってない存在なのが「夫」とか「嫁」。でも、だからこそ、家族農業をずっと続けていくには、その夫婦間の気持ちの共有が必須なのだ・・とも思うのだ。


先日、私たちの所属しているキュウリ出荷組合の研修旅行があった。年に一度のお疲れさまの宴会旅行。キュウリ出荷組合は、組合員の年齢構成が非常に高い。トマトや花卉(かき)農家は比較的若い人が多いのだけれど、キュウリは私たちの親の年代、つまり年金をもらう世代が多い。そんなこともあって、これまでのキュウリ組合の旅行は、組合の役員もしている両親たちが参加してたのだった。

今回の目的地は、生産しているキュウリを出荷している取引先、大手小売チェーンの青果部門本社、及び、種苗会社の研究農場視察。学生時代から農業畑だった自分は、そうした見学地は何回か行ったことはある。でも、嫁は農業とはまったく縁のない人生を送っていたひとなので、これまでそうしたものを見たり聞いたりしたことはなかった。

先に書いたようなこともあって、「今回の研修は自分たちが行こう。そしたら、来シーズンからの農作業に違った気持ちで取り組めるんじゃないか・・」、そんな風に思って、私たち、若夫婦が今回は研修旅行に参加することにした。

考えてみれば、ずいぶんと二人だけで宿泊ありの旅行になんて出かけてなかった。新婚旅行以来ずっと。子供が産まれてからは全部家族でのお出かけだった。う〜ん、なんと言ったらいいのか、今回は楽しみであり、ちょっと不安でもある研修旅行・・。

さて、旅行当日は早朝六時出発。いつも出荷している市場の社屋前からバスに乗る。運転手とバスガイドに挨拶して乗り込む。
「おはようございます」
「おはようございます。・・おおっ、ヒデちゃん!」
「おおっ、お客さんに夢ちゃんもいるのか。いいねえ、夫婦そろって」
「よろしくお願いしますね〜」

そうなのだ、バスの運転手は幼なじみのヒデちゃんだったのだ。なんだか、最初から今回の旅行が充実しそうな展開・・。

キュウリ組合のメンバーと市場の社員あわせて二十名ちょっとのバスツアー。女性は六名。男性陣はいつも市場で会っているが、母ちゃんたちはよく知らない。自己紹介しつつ、今回は両親じゃなく、若夫婦が来たこと説明しつつ、嫁さんも紹介した。

バスの中は出発してから、まるで宴会場のよう。バス後部のサロン席に陣取った最高齢軍団。乗ったとたんにビール、チューハイ、日本酒を飲む騒ぐ。微妙にベテランなバスガイドさんは、出発早々、辛口トーク全開でサロン高齢者との10メートルの会話のキャッチボール。その話術は巧みで、まるで女版「綾小路きみまろ」。バスの中は爆笑の渦。

農家のバス旅行は、基本的に父ちゃん、母ちゃんたちの一行だから、上品すぎてもいけないし、けっして下品すぎてもいけない、と考える。農業や食の知識もないと、説明に説得力もない。ところがだ、今回のバスガイドはその点をすべてクリア。だってですね、うちの地域を「東洋のアルカディア」と言った明治時代のイギリス人旅行家「イザベラ・バード女史」の話題をさりげなく、世間話に盛り込む人なんて、初めて・・。しかも『日本奥地紀行』の「流れ灌頂(かんじょう)」の頁だよ・・。おいおい、どんだけ勉強してんだ・・。


雨の中、バスは最初の目的地、取引先の会社のある埼玉県を目指す。山形県からトンネルと超えると福島県は青空が広がる。ここは別世界だ。頂上が真っ白になった会津磐梯山がとてもきれい。ところどころ高速道路は補修されている。震災の傷跡だ。補修したとはいえ、時折、バスが大きく揺れる。以前のような平らな道路には戻らないらしい。

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こんなにきれいなのに。とても天気がいいのに。農業に適した自然環境なのに。目に見えない脅威が存在するとは・・。しばし考える。


途中、サービスエリアなどに立ち寄りながら、福島県から栃木県へ。途中、渡良瀬遊水地を脇にバスが走る。旧谷中村の碑が建っているのを見る。それらを見て突然思い出した。自分の小学校時代に記憶が戻る。渡良瀬川足尾銅山、田中正造・・。そうだ、教科書に出てきた足尾鉱毒事件のあの舞台なのだ。

バスは遊水地の堤防脇を走るのだが、いつまでたっても終わらない。こんな広大な土地が不毛の土地となったのだ。全財産を鉱毒の運動に使い、死んだ時の田中正造の持ち物は袋一つだったという話も思い出して、とても切ない・・。

渡良瀬川」と「切ない」といえば、森高千里の『渡良瀬橋』も思い出した。

誰のせいでもない あなたがこの街で
暮らせないことわかってたの 何度も悩んだわ
だけど私ここを 離れて暮らすこと出来ない
(『渡良瀬橋森高千里詞)

うるうる・・。涙で前が見えない・・(笑)


そんな風に自分勝手に切ながっていると、ようやく取引先会社に到着。山形出発してから六時間たって、やっと、研修旅行らしくなってきたキュウリ生産出荷組合ご一行様だったのであった。

(つづく)